青空とハンバーグ

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佛狼機砲が見つかった!


ウィーンに江戸初期の大砲 博物館で100年ぶり確認 :話題のニュース:中日新聞(CHUNICHI Web)

 
ウィーンの軍事史博物館で、江戸時代の大砲が見つかったらしいです。上のリンク先である中日新聞によれば、
 
大砲は砲身後部に火薬を詰めた子砲を装填して砲弾を発射する「フランキ砲」
 
とのこと。このフランキ砲、同じ名前のものが史料で確認できます。漢字で書くと「佛狼機砲」。佛狼機は佛郎機とも書きますね、というかそちらの方が普通かも?多分色々な史料に出てくる名前かと思いますが、僕が佛狼機砲を見たのは『籌海図篇』でした。
 

『籌海図篇』って何?

 
簡単に言うと、今から500年に中国で書かれた海防研究書兼日本研究書です。
当時の中国は明という王朝の中期だったのですが、倭寇の被害が酷く、海防や倭寇の根城である日本の研究の需要が高まったのでした。そうした背景のもと編纂された『籌海図篇』の編者である鄭若曽は倭寇対策に当たっていた役人の幕僚の一人で、この書物は日本の地理・風俗や中国沿岸部の軍事施設、倭寇の頭目の系譜の情報から武器や船の図説まで、包括的な内容となり、素人が見ても読み応え十分な一冊です。
で、その『籌海図篇』に載る佛狼機砲の図が以下の二枚です。

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f:id:zhiyang:20160504004034j:image上は火縄を銃座で固定したような感じ、下はもっと大砲みたいな雰囲気ですね。ウィーンで見つかったものは下のものに近いですかね。

解説文にざっと目を通すと、

其機活動,可以低,可以昂,可以左,可以右,乃城上所用者,守營門之器也。其制出於西洋番國,嘉靖初年始得而傳之。

 とあるので、城壁の上に固定して、侵入する賊を迎撃してたんでしょうか。西洋の番國、要はポルトガル人が伝えたんでしょうけど(中国史では西洋=ヨーロッパではないですが)、伝わった時期である嘉靖年間は倭寇の被害が最も激化した時期であり、まさにうってつけの武器が伝わってきたというわけですね。まあポルトガル人は倭寇の被害が激化した一因というか、倭寇の構成員そのものだったりもしますが。ちなみに嘉靖年間は1522年~1566年、『籌海図篇』の初刻が1562年らしいです。

また、小佛狼機と大仏狼機があったというので、上が小佛狼機、下が大佛狼機でしょう。別々の名前にはならなかったんですね。

余談ですが、「佛狼機」は元々銃の名前ではなく国の名前だとちゃんと(?)認識されていたようですが、この「佛狼機國」=ポルトガルの人間が初めて広東に現れた際の逸話として、こんな記述がありました。

其船主名加必丹,其人皆高鼻深目,以白布纏頭,如回回打扮。

 加必丹ってのは出島にもいたカピタンのことでしょうか。そして後半の白い布を頭に巻いて「回回」の真似をしていたという部分、「回回」はムスリムのことなので、ポルトガル人は初めての異国の地に行くにあたって、既に中国と交通していたアラビア人かペルシャ人あたりの真似をしたということなのでしょうか。地球の反対側から来ただけあって、必死さが伝わってきますね…。

今回、ウィーンで見つかったのは17世紀初頭に今の福岡で作られたものらしいですが、日本のフランキ砲は佛狼機砲の名前とともに中国から伝わったのでしょうか。それとも、別にポルトガル人が伝えた後に中国のものと同定されたのでしょうか。いずれにせよ、ポルトガル人がムスリムの振りをしながら中国に伝えた火器が日本でも作られウィーンに渡っていたという、兵器一つにもワールドワイドな文脈が存在したのでしたというだけの話でした。